蔵元便り 柚野の里から

2007年07月

錦色の山々

突然ですが、「富士錦」という銘柄は、1914年、先々代と親交のあった憲政の父とも言われる尾崎 行雄氏が、この地を訪れて、富士の紅葉のあまりの美しさから命名されたそうです。
その時代、この里は秋になると、富士山を頂点に、 ぐるりと見渡す山々が紅葉して、まさに錦色だったと今でも蔵元は良く話します。

秋になると、一冬分の薪を山からとってくるのは子供の仕事で、 山を30等分にして、今年はここからここまでと区域を決めて、薪になる木を担いで運んだんだよ。
それに昔は、山が格好の子供の遊び場で、山に行くのは楽しかったんだ、と話に花が咲きます。
先代までは、清醸造店・酒銘は「神光」という銘柄でした。いまでもこの銘柄は現役ですが、紺地に白ぬきの明治の香り漂う神光ラベルです。
現蔵元が、昭和38年に個人商店から法人成りに会社組織を変更した時に、社名と酒銘共に「富士錦」とし、現在に至ります。
現在、柚野の里から西に山ひとつ超える桜峠沿いで、木の切り出しが盛んに行われています。又里周辺でも、他に木の切り出し計画が進められている山が、何町歩かあると聞きます。戦後すぐに、ほぼ日本国中の山に、国策のような形で杉や檜が植林されました。
それから60年、明治時代のように錦色に染まる里の風景は見られないにしても、緑色の山の中に、囲まれて育ちました。
これからの山はどう変わるのでしょうか?
折りしも今年は空梅雨が叫ばれ、記録的な猛暑が予想されています。世界的にも異常気象が現実のものとなっています。
全てが連鎖して繋がっている「自然」です。

時代と共に、錦色に染まる里の山々に戻り、未来が現在と同じこんこんと湧き出る富士山の豊かな湧き水に満ちていたら、里はより魅力ある場所になり得ます。
そんな里にしませんか?