2011年11月
杜氏の引退
突然ですが、この夏、畑福杜氏が引退を決意しました。体力の限界を感じました。と、男らしい潔い幕引きでした。畑福杜氏と共に来期も酒を造ろうと話してきただけに、残念ですが、50年以上に渡る酒造りを経て、畑福杜氏の小さな体は限界を迎えていました。
東日本大震災に始まり、放射能・電力不足・猛暑・節電と、どなたにとりましても今年は特別な年だと思います。富士錦にとっても、まさしく「想定外に対応する」手探りの夏を過ごし、大きな転換の年となりました。
昭和13年生まれの畑福杜氏は今年73才。日本三大杜氏のひとつ南部杜氏協会がある岩手県の代々杜氏を受け継ぐ家に生まれ、小さい頃から酒造りの道を進む事を当たり前のように育ち、学校を卒業すると共に、この道に入ったと聞いています。
その小さい体で60kgの俵を担ぎ、朝一番早く起き、夜一番遅く床に入る日々を過ごした若かりし頃の年月。身をもって酒造りのいろはを骨身にしみ込ませた生粋の名杜氏でした。
そんな畑福杜氏と、富士錦の出会いは、ちょうど15年前。現社長が、富士錦へ飛び込んだ年と重なります。社長と杜氏は、年は親子ほど離れていますが、同じ年に入社した同期生。お互いまったくとらわれるものがない真っ白な状態で出会い、そこから二人で様々な富士錦の酒造りの試行錯誤を共有した15年。嬉しいことも大変なことも、結果が出ない悔しさも一緒に体験しました。
もともと畑福杜氏が目指していた味の方向性と富士錦の方向性がピタリと一致したことが分かった時は、社長はこの出会いに強い運命的なものを感じた。と、吐露しています。
日本酒を愛し、日本酒は「大和魂」だと語る杜氏の内に秘めた情熱の強さを感じるとき、富士錦の運命も明るく力強く感じることが出来ました。15年の長きに渡り富士錦の酒を醸し続けてきたその大和魂と技術、そして想いを胸に、今年は同じく岩手・南部杜氏の伝統を受け継ぐ根本副杜氏へとバトンタッチしました。
富士錦が目指す「富士山のように透き通ったキレのある酒」を、新しい仲間で醸していきます。
これまでの長きに渡る畑福杜氏へのご愛顧ありがとうございました。心より御礼申し上げます。
新生。富士錦、どうぞご期待ください。