蔵元便り 柚野の里から

2013年07月

崟太郎(きんたろう)という男

二十二日早朝、半袖だと少し肌寒く感じる澄んだ空気の中見た富士山は、 くっきりと稜線が浮かび、少し雪化粧も施されハッとするほどキレイでした。
この日の富士の美しさはまるで、今日の世界文化遺産登録を知っているかのような「圧倒的な存在感」で、 まるで花嫁のような特別な美しさを漂わせていました。
私達の富士山から世界の富士山へ、大きく羽ばたいたまさに不二の山の姿でした。

この日の「世界遺産登録」のニュースは、富士錦にとっても感慨深い知らせでした。 富士錦の先祖には、一人だけ国会議員となった崟太郎(きんたろう)という男がおります。明治7年生まれ 次男として生れたので、地元の旧制中学を卒業後、東京の大学へ進学。
その後、新聞記者を経て、地元四区から出馬し、国会議員となりました。 崟太郎は、地元富士山への想い強く、その風景の価値と活用を鑑み、地元を発展させながら、 大切な水と環境とそれにまつわる文化を守らなければならないということを理念に掲げ活動を続け、 「富士国立公園の設立」を考案しました。
富士山周辺の地域は、後に富士箱根国立公園として制定された為に、 戦後の高度経済成長時期にも大規模な開発がされず、現在に至っていました。 そして今回ユネスコ世界文化遺産登録となり、日本の富士山から世界の富士山へと認められることとなりました。

当時は「世界遺産」という考えはおそらく無く、 日本が守るべきものは日本人が守るという当たり前の考えがあったのでしょう。
作家志賀直哉は「富士山は大風景」と言っていたそうです。 今も昔も、変わらぬ姿の富士山は、多くの人達の心に残る風景です。
過去に人たちの地道な活動や尽力、そして「富士山を守りたい」という想いの積み重ねが、 今回の嬉しい結果に至ったのだと思います。
里に恵みをもたらす富士山が、時代と共に、 これからも多くの人たちの役に立つ事を、心より願っています。