対談


今年から富士宮市と芝川町が合併し、富士錦酒造のある柚野の里も富士宮市となった。
その富士宮と言えば、やきそばによる町おこしが注目されており、
その中心人物であり立て役者となったのが、「富士宮そば学会」会長の渡邉英彦氏。
清社長とは学会設立以前からの顔見知りで、地域貢献への思いも共通点。
そこで合併を機に、地域ブランドの活性化にかける互いの思いを熱く語り合った。

レコードのB面から意外なヒット曲が生まれるのと同じで

清:
まずは乾杯ということで。

渡邉:
乾杯! やっぱり富士錦はおいしいですね。

清:
ありがとうございます。
渡邉さんもB-1グランプリ(注1)の成功、おめでとうございます。
(対談時はB-1終了直後)

渡邉:
ありがとうございます。
すごい人手だったので、何とか無事に終わって良かったなとホッとしているところです。

清:
B級という言葉は、本来ならマイナスのイメージですが、それをプラスに転用したところがすごいですね。

渡邉:
私としてはA、Bという序列ではなくて、メジャーかマイナーかという考え方なんですよ。
必ずしもマイナーが劣っているわけではないし、裏ワザみたいな意味合いですね。

年輩の人ならわかるけど、レコードのB面から意外なヒット曲がうまれるというイメージなんですよ。

清:
なるほど。
たしかにマイナーでも素晴らしいものはたくさんありますよね。

渡邉:
そう。A級だろうがB級だろうが、良いものはある。
それをどれだけ多くの人に、わかりやすく伝えられるかどうかですね。

でも、特産品とか地元のものを売ろうとすると、どうしてもクオリティとかコストとか作り手側の問題に入りこんでいく。

本当はどうアピールするか、消費者に知ってもらうかということが大事なんだけど、意外にそれが忘れられてしまうんですよ。

だけど我々は一般消費者の立場なので、もっと緩い感覚で、こんなふうにやったら楽しいねみたいなノリで、地元の素材を応援して町おこしにつなげたいと思って活動しているわけですよ。

とにかく一度食べたり飲んだりしてもらわなければ、何も始まらないわけですから。

清:
おっしゃる通りですね。
私が富士宮やきそばを食べたときも、初めてなのになぜか懐かしさを感じたんですよ。
そういう意味でも多くの人に共感を得やすいんでしょうね。

渡邉:
そうですね。
子どもの頃に駄菓子屋に行ったり、身近なところでやきそばを食べてきた経験は誰にもありますからね。
昔、食材が十分にないような時代に工夫されたレシピがそのまま残っているから、余計にノスタルジックなテイストを感じるんでしょうね。

清:
渡邉さんのPR手法には、ダジャレを使ったり必ずひとひねり加わりますよね。

渡邉:
だって、これ(富士宮やきそば)を正攻法で出したってダメだもん(笑)

切り口は何でもありだと私は思っているんですよ。
物を買うかどうかは消費者が決めることであって、作り手が決めることじゃないですよね。

だから専門家から見たら
『こんな物を作ったって……』と感じるものでも、素人から見れば、面白がって買ったりするわけですよ。

でもまあ、富士錦がお酒のプロモーションをするのに、私のようにやれというのは無理だよね(笑)

ただ、あまりに歴史とか伝統に縛られてしまってもどうかなと。
とくに今まで関わりがなかった人たちにも知ってもらうためには、違うやり方があってもいいんじゃないかとは思いますね。

味は伝えられないから、情報として伝えるしかないんです

清:
たしかにそうですね。
東京で試飲会をやるときにも、『静岡のどこなの?』と聞かれて富士宮ですと答えると、『ああ、やきそばの?』と必ず言われます。
これほど浸透しているのは、あらためてすごいことだなと思います。

渡邉:
そう。知ってもらわなければ何も始まらないんですよ。
『存在するとは知覚されることである』
という哲学者の言葉があるけど、いくら良いものがあっても、消費者が認知していないものは存在しないのと同じなんです。

富士宮のやきそばも、1999年までは地元の人が食べ続けてきた富士宮のちょっと変わったやきそばがあっただけで、地域ブランドとしての『富士宮やきそば』は存在していなかったわけですから。

清:
本当にその通りですね。

渡邉:
そういう話をすると、
『まずうまいものがあるということが大事だ』
と言う人が必ずいます。
それは私も当然わかっているし、大前提です。

ただ、うまいかまずいかというのは、消費者が食べてみなければ判断できない。

だから、食べてみるとか飲んでみるという行動につながる情報が重要なわけじゃないですか。
どんなメディアを使ったって、味そのものは伝えられないですから、情報やストーリーとして伝えるしかないわけですよ。

清:
そこにB-1グランプリの価値があるわけですね。

渡邉:
そうなんです。
まずどれだけ多くの人に知ってもらうか。
知ってもらえば、買ってみようとか行ってみようと思ってくれるわけですよ。

清:
そうですね。
私たちのお酒も、一度の飲んでいただければわかってもらえるという自信はあるんですが、本当にお酒しか造っていないので、そういうアピールの部分はどちらかというと苦手なんですよね。

渡邉:
それは当然でしょう。
清さんたちのように良いものを作っている人はたくさんいるんだけど、それを伝える作業を全部自分たちでやりなさいと言っても無理がある。

だから、地域にマイナーな状態で埋もれているんだけど、潜在力はすごくあるというものがたくさん存在するわけです。

当然、富士錦のお酒も地元の自慢できる素材であることは間違いないわけで、それを会社として宣伝するのは当たり前なんだけど、地域にとっても町おこしのツールとしてすごく可能性があるわけです。

そういう市民活動的なものと、企業の努力と行政のバックアップなんかがうまくかみ合うと、大ブレークするんですよ。
それが富士宮の場合は、やきそばという素材を中心にかみ合ったということなんでしょうね。

これからは富士山エリアでものを考えないと

清:
その通りですね。
そういう意味では、毎年『蔵開き』をやっているのも、町おこしに一役買えればなという思いが強くあってのことです。

その意をくんで、役場(旧芝川町役場)の人たちも含めて多くのボランティアの方々が自主的にお手伝いに来てくださって、私としてはすごくやりがいを感じています。

渡邉:
あれはすごく貢献していると思いますよ。
富士錦の蔵開きは、(旧)芝川町最大のイベントでしょ。

ただ、ちょっとひねくれた見方をすると、なんで富士錦という一企業のために町のみんなで盛り上げるんだと思ってしまう人もいるわけですよ。

でも、それは違う。
何でもいいから地元のものがひとつ元気になれば、絶対に波及効果が生まれるんですよ。
だから、ひがんでいても何も始まらない。

やきそばや富士錦ばかりが目立って…と考えるのではなく、そういう人はそれをうまく活用すればいいじゃないですか。
たとえば、蔵開きにたくさん人が来るんだったら、蔵開きに行ってビラを配ればいいわけですよ。

清:
そうですね。
私もどんどんそういう場に利用してもらっていいと思うんですよ。

渡邉:
そうすれば、わざわざ新聞に折り込みを入れなくても、広告できますからね。

そういう意味では、今年から富士宮と合併したわけですが、これからは芝川とか富士宮なんて言っている場合じゃなくて、富士山エリアという枠でものを考えることも大事だと思いますよ。

富士山を取り巻く地域の素材としていろいろなものをアピールして、富士山エリア全体で盛り上がらないと、静岡空港も意味がない。
いくら富士宮にやきそばを食べに来てくださいと言ったって、飛行機に乗ってきませんよ(笑)

だけど、富士山はわざわざ遠くから見に来る価値がある。
で、その周りにご当地グルメがいくつもあったり、おいしいお酒もあったり、温泉があったりと付加価値が加われば、より来る人も増える。

それは富士山をグルリと囲んでいて初めて成り立つ話だから、隣の町と対抗してだとか、そういうことを言ってる場合じゃないでしょ(笑)

清:
なるほど。視点をどこに置くかによって、考え方は全然違ってきますね。
私たちももっと大きな視野でものを考えないといけないですね。

五感で直接感じた記憶は、ずっと後まで残りますよね

渡邉:
だと思いますよ。
ところで、もっとお酒の話をしなくていいんですか(笑)

清:
そうですね(笑)
では、ふだんからお酒は召し上がるんですか?

渡邉:
もちろん、お酒は大好きですから。
日本酒は毎日飲むというわけではないですが、外食をしたときにおいしいお酒があれば、飲むという感じです。

富士錦も、店に置いてあればよく飲みますよ。
あと、僕の場合は仕事の関係でいろいろな地方に行くので、その地域の地酒を飲む機会も多いですね。
たいてい誰かが持ってきてくれますから(笑)

清:
そうでしょうね。
私がお迎えする立場でも、絶対にお酒を持っていきますから(笑)
ところで、お酒との出会いというのはどんな感じでしたか?

渡邉:
僕は大学は東京に出ていて、最初に仲良くなった先輩が秋田出身ですごく酒好きの人だったんですよ。
それで、その先輩に連れて行かれて、居酒屋に入り浸るようになっちゃって。

でも、学生だからそんなに良い酒はね……当時は二級酒ですよ。
大量に作っている安い銘柄で、ベタベタした口当たりの。
でも一級酒も置いてあって、飲み比べれば明らかにうまいんですよ。
だから、バイト代が入ったときとか、たまに奮発して一級酒を飲んだりした思い出があります。

清:
初めて、ああこのお酒は本当にうまいなと思った記憶は?

渡邉:
それも学生のときだけど、サークルの合宿で新潟に行ったんですよ。
もう30何年前ですね。

そのときに民宿の親父が、これは地元の酒でまだあんまり外で売ってないけど、けっこううまいんだぜって感じで持ってきてくれて。

今は全国ブランドの銘柄だけど、当時は地元でしか飲まれていなかった酒で、ああこれはふだん飲んでいる酒より全然うまいなと思いましたね。

清:
そういう経験は、すごく記憶に残りますよね。
うちも、蔵開きとは別に、見学させてほしいという申し込みがかなりあるんですよ。

それも、大人のグループだけじゃなくて、地域の産業を見たいという小学生や中学生の見学希望が
意外に多くて。
本当だったら飲んでもらえばいちばんありがたいですけど、そうはいかないので(笑)、新酒の香りを嗅いでもらうんですよ。

そうすると、お米だけで造ったとは思えないようなフルーティーな香りがして、かなりビックリするみたいですね。
それは外国の方も同じように驚かれます。

そうして五感で直接感じてもらうと、すごく印象に残るものらしいですね。
だから、大人になっても、そのときにイメージが残ってくれていればいいなと(笑)

渡邉:
今の子どもって、出来上がったものしか見ていないですよね。
だから、そういうモノ作りの世界を直接見せるというのも、すごく大事だと思いますね。
どれだけ大変なことをしているかというのは、やっぱり見せないと伝わらないですから。

清:
そうですね。
蔵元というのは、どちらかというと閉鎖的な世界で、あまり見せないというのが普通なんですけど、私が(東京から)こっちに来て会長に蔵を初めて見せてもらったときに、ものすごく感激したんですよ。

そのときの気持ちが強く残っているので、微生物の管理さえしっかりできれば蔵は見せたほうがいいなと思って、蔵開きを始めたんです。

渡邉:
それは意味があると思いますよ。
日本人として日本の歴史とか伝統を肌で感じるという意味でもね。

精神的なビタミン剤みたいな役割が果たせればと

清:
そうですね。
テレビで『龍馬伝』なんかを観ていても、時代を動かす男たちが酒を酌み交わしながら、夢を語り、想いを巡らし、心を通わすときなどの、大切なシーンではお酒が大きな役割をしている事を改めて感じます。

渡邉:
人のコミュニケーションにおけるお酒の役割というのは非常に大きいですよね。
たとえば町おこしの話なんかも、シラフで会議していたって良いアイデアなんか生まれないんですよ(笑)

飲みながら楽しい雰囲気の中で、自由な発想というのは出てくるわけで、我々にとっても欠かせないものです。

清:
本当にそうですね。
私たちとしても、みんなのためのみんなの富士錦でありたいという気持ちはつねにあります。

何かストレスを感じることがあっても、これでも飲んで気晴らししようかと、明日の活力にしてもらえたらうれしいですね。

精神的なビタミン剤みたいな役割が果たせればと思っています。
そういう意味でも、日常的に飲める価格帯のお酒でも本当に飲み口が良くておいしいものを提供したいという気持ちはすごく強くあります。

だから定番の純米酒も、毎年少しずつでも進化させようと思って頑張っています。

渡邉:
いいですね。
まずは誇れる素材があるということが大前提なので、味の追求というのはさらに続けていってほしいです。

で、せっかく清さんたちも富士宮市民になったことだし(笑)
富士錦が富士宮の地域素材として加わったわけなので、我々も一緒に発信して自慢の種にしていきたいと思います。
ぜひ一緒にまた何かやりましょう!

清:
はい。ぜひよろしくお願いします。
今日はすごくおもしろい話を聞かせていただきましたし、新たに気づかされることもたくさんありました。

地域と一緒に発展していくことの重要性も、あらためて強く感じることができました。
今日は本当にありがとうございました。
五感で直接感じた記憶は、ずっと後まで残りますよね

清:
渡邉さんは旧知の仲ではありますが、ここまで掘り下げてじっくり話ができたのは初めてです。
人を惹きつける話が次から次へと出てきて、本当に頭の切れる方だなと実感しましたし、周りに人が集まる理由がよくわかりました。

我々は作り手なので、どうしても作り手の視点に寄りがちですが、そうではなく逆に消費者の目線から見ることや、柔軟にいろいろな所に視点を置くということの大切さは、話を聞いてよくわかりました。

だから、伝統ある酒蔵として黙々と良いものを作り続けることと並行しながら、柔軟な視点で物事をとらえて仕事に生かしたいと強く感じました。

それと同時に、あらためて地域と共存共栄の関係で発展していくことが大事だということも、これまで以上に実感しています。

もちろん、富士錦のベースは柚野の里なので、それも忘れることなく、より広い地域に富士錦の味を発信していきたいと思っています。

富士宮やきそば学会学長
渡邉 英彦(わたなべ ひでひこ)氏プロフィール

1959年、富士宮市生まれ。国際基督教大学卒業後は東京で外資系保険会社に勤務し、1987年に帰郷。97年に富士宮青年会議所理事長に就任し、99年に市街地活性化の市民ワークショップに参加して、解散後も有志で活動を継続。その中で富士宮独自のやきそばに注目し、00年に富士宮やきそば学会を設立して、やきそばを中心にした町おこし活動をスタートした。
その後は、「やきそばG麺」、「ミッション麺ポッシブル」などダジャレや親父ギャグを駆使しながらメディアを巧みに活用し、全国的な注目を集めていく。そして自ら中心となって立ち上げたB-1グランプリの成功により、富士宮やきそばは一気に大ブレーク。今や町おこしの手本として、各地から講演の依頼も非常に多く、多忙な毎日を送りながら、次なる町おこしの一手を着実に展開中。