対談

対談~富士山が育んだ歴史の故郷~ 恵みの水と米から始まって
 農学博士 渡邊 定元、社長 清信一

地元・富士宮市の出身で林業の発展に大きな足跡を残してきた農学博士・渡邊定元さん。富士錦酒造の会長・清恭治とは高校の同級生で、富士山を深く愛し、富士山に関する研究や論文も数多く残しています。そんな渡邊博士が伝える富士山と柚野の歴史、そして米作り・酒造りを支える水の恵みとは?

清:
今日は研究や講演でお忙しい中、お付き合いいただき本当にありがとうございます。

私も定元先生がまとめられた『富士山を知る事典』という本を楽しく読ませていただいたんですが、自然、地形、歴史、文化、芸術、信仰など本当にあらゆる側面から富士山の魅力を紹介されていますね。

渡邊:
私の専門は森林生態学とか植物分類学の分野なので、富士山のことは趣味の範囲が多いです(笑)

それだけ富士山は我々にとって魅力的で、大きな存在ということですかね。

清:
本当にそう思います。
歴史に関係した記述も非常に興味深いものでした。

渡邊:
私は『吾妻鏡(あずまかがみ)』(鎌倉幕府の正史)の記述を基に論文を書いたことがあるんだけど、有名な『富士川の戦い』の前哨戦となった『春田路(はるたじ)の戦い』は、ここ柚野が舞台だったと考えています。

吾妻鏡には甲斐源氏が甲斐の国(現在の山梨県)から『春田路』を通って駿河に下り、『鉢田(はちた)』という場所で平家と戦って平家勢を殲滅(せんめつ)したと書いてあるのですが、春田路や鉢田という地名は、当時田んぼがあったことを示唆しています。
つまり、水があって田んぼを作れるところというと芝川筋しかありません。

そこで、地質や地形、地名から総合的に判断すると、鉢田は柚野の『大鹿窪(おおしかくぼ)』のあたりだとの結論を得ました。
つまり、当時からすでに柚野には人が住みついて田畑を営み、集落が栄えていたということです。

清:
そうなんですか。
大鹿窪と言えば縄文時代の遺跡もありますよね。

渡邊:
そう。
定住集落の遺跡としては、日本最古クラスと言われています。
『三内丸山遺跡』よりも古いのですが、その年代というのは、富士山の溶岩流が流れた年代や地形から証明できるわけです。

清:
縄文人が定住できたということは、山も川も平地もあって食料が調達できた土地だったということですね。

それと、春田路は『塩の道』とも言われていますね。
武田信玄が使う塩を運んだという。

渡邊:
そういう意味では、柚野というのは昔から交通の要所でもあったし、かなり豊かで開けていた集落だったのですね。

芝川の町史には川合の地は富士宮よりにぎやかだったことが書かれています。
つまり、芝川流域は歴史の故郷と言っていいような土地で、その中で柚野は豊かであったと私は考えています。 柚野という地は、昔は富士宮より開けていた深い歴史があるんですよ。

そして、そういう歴史を支えたのは、富士山の噴火によって作られた地盤であり、そこから湧き出る湧水であり、水田が作られたことが大きいということです。

清:
本当にそうですね。
そこは現代に生きる我々も理解しておかなければいけませんね。

渡邊:
水や土壌に関しても、富士山の歴史と大きく関係しております。

1万7千年ぐらい前は富士山の標高が2,700mぐらいだったと言われてますが、その頃には富士山に氷河があって、マグマが上昇すると水蒸気爆発が起こって、たくさんの泥流が堆積した。

それが『田貫湖岩砕なだれ堆積物』と呼ばれていますが、これは水を通さない不透水層。

その後、その上に溶岩流が流れて、これは透水層になるからそこを地下水が流れる。
その上に火山灰が積もって、水田や畑に適した土壌になる。
富士山が何回も爆発している中で、そういう地層が積み重なっていて、地下水層も何層かある。

それで深い層を通っている水ほど、富士山の高い所に降った雨から来ています。

清:
その話は私も聞いたことがあります。

うちの酒造りに使っている水は、溶岩層を三層掘り抜いた地下30mのところからくみ上げていますが、調べてみたら富士山に雪や雨として降ってから79年ほどかけて地下を流れてきた水だそうです。

だから本当に不純物が少なくて、細菌もまったくいない。
この水がなかったら、うちのお酒もないですね。

渡邊:
そう。良い土があって、良い水があれば、良い米ができる。
そこから美味しい酒ができるというのも必然だと思います。

清:
はい。酒造りは、米と水ありきですから。
歴史的にも、お酒というのは集落の中で大きな役割を果たしていたと思います。

農閑期の雇用を生み出し、お酒自体がねぎらいの品や贈り物にもなります。
もちろん祝祭や神事にも欠かせないですし、人と人とのコミュニケーションを円滑にすること、集落の結束を高めることにも役立ってくれます。

本当に人々の生活に寄り添うものだったと思います。

渡邊:
そうでしょうね。
そういう意味では、柚野の水や土地に合う酒米を作るとか、新しい試みをしてみたらいいと思いますよ。

たとえば、山田錦を柚野に合うように品種改良していくとかね。
毎年いちばん良い穂を採っていって、それを何年もくり返すことで少しずつ変わっていきますから。

清:
それも良いですね。
じつは今、山田錦をベースに静岡で生まれた『誉富士(ほまれふじ)』という新しい酒米を柚野の田んぼで育てて、それで純静岡産のお酒を造っています。

今のお話を参考にして、より柚野に合う誉富士にしていくことにも取り組んでいきたいです。

渡邊:
それは良いですね。
火山というのは、いちばん古い植物を残しながら、いちばん新しい植物を生み出すという特徴もあるから。

清:
酒造りでも同じですね。
昔からの良い部分は守らなければいけませんが、そこに新しいことも少しずつ取り入れていかなければいけません。
水や土地の恵みを生かすという意味でもまだまだやるべきことは本当にたくさんあると、私自身も強く実感しています。

渡邊:
私もそう思います。
この地域は、私の専門からいっても植物の多様性があり、水も良いから、富士山周辺にはいろんな美味しいものがありますよね。

私はお宅の会長と高校の同級生ですが、彼から相談されて「富士のこけもも酒」を作ることを勧めたことがあります。
今なら、地元の四ツ溝柿からお酒を造ることを勧めますね。
あの甘さは世界で通用するから(笑)

清:
おもしろそうですね。研究してみます。

今日は先生のお話を聞いて、柚野では古くから富士山の水が人々の生活を潤し、深い歴史を育んできたことがよくわかりました。

私たちの酒造りもその上に成り立っているわけですし、その恩恵をより良い形で生かすという使命を、あらためて実感できました。

渡邊:
いいですね。
私も今81歳ですが、まだまだやりたいことがたくさんあります。

まずは白糸の滝の近くに『フォッサマグナ植物園』を作りたいと思っています。
フォッサマグナ(中央地溝帯)地域に著名な植物を揃えて、地域に貢献したい。
もちろん研究論文もどんどん出しますよ。

清:
本当にお元気ですね。
先生とお話して、私も大きなパワーをいただきました。

渡邊:
これからも夢に向かってお互いに頑張っていきましょう。

清:
私も頑張ります!
今日は本当にありがとうございました。

プロフィール
農学博士 渡邊 定元 - わたなべ さだもと –
昭和9年1月28日、静岡県富士宮市生まれ。北海道大学農学部林産学科を卒業後、森林生態学、森林育成学、樹木社会学などの研究を重ね、昭和60年東京大学農学部教授に就任。三重大学、立正大学でも教鞭を執り、現在 富士学会会長。環境コンサルタント技術士として林業の発展や後継者育成にも貢献。趣味は登山、スキー、植物観察で、富士山に関する研究や講演は今も旺盛に続けている。おもな著書・編著に樹木社会学(東大出版)、森とつきあう(岩波書店)、富士山を知る事典(日外アソシエーツ)など。